大和郡山市議会 2017-07-10 07月10日-03号
大和郡山市の城下町は天正13年、西暦1585年に豊臣秀吉の弟、大納言秀長が大和郡山城に入り城下町が整備され、現在に至っております。約 400年前のことではございますが、当時の都市計画として見れば、すぐれたまちづくりであったのではないかと思います。
大和郡山市の城下町は天正13年、西暦1585年に豊臣秀吉の弟、大納言秀長が大和郡山城に入り城下町が整備され、現在に至っております。約 400年前のことではございますが、当時の都市計画として見れば、すぐれたまちづくりであったのではないかと思います。
9月6日には、古事記1300年紀の中で結成されました市民劇団「古事語り部座」による公演「郡山千本桜~大納言秀長の白狐伝説」がやまと郡山城ホールにおいて行われます。10月18日、19日の両日には、全国金魚サミットをやまと郡山城ホールで開催をいたします。
そして、大和大納言秀長、豊臣秀吉の弟さんが築城されました。入られました。しかし、残念なことに増田長盛公が関が原の戦いで徳川家康につくことなしに、西軍の石田三成につかれまして破れたわけです。ここで一度、我が郡山城も廃城になったわけです。 しかし、大阪夏の陣以降、豊臣秀吉の大阪城落城に非常に功績のあった水野忠成公が郡山城につかれました。